昭和51年、万太郎の卒業式
昭和51年になった。これで高校ともおさらばである。同級生の仲間たちは、「上級学校に進学する。」とか「やれセリカだの、ランサーだの、ケンメリを買う。」とか話しているが、万太郎は3月生まれなので四輪の免許取得は同級生の中でも最も不利なのであった。
免許を取り、親に買ってもらった中古のスプリンターやら、サニー、アニキのおさがりファミリアプレストロータリーのタコメーター付きを見せびらかす同級生もいた。ある男などは、箱のスカイライン2000GT-Xの4枚、5速クーラー、カセットステレオ付きを買ってもらい有頂天で見せびらかしていたが、さすがにこれは羨ましかった。変人では親父のおさがりの「茶色のいすゞのフローリアン5速」を得意げに乗り回している奴と、これまた親父のおさがりの「ダイハツのシャルマン4ドア」もいた。
よってやっとの思いで自動車学校に通うことができたのであるが、ここで、ある考えに従うことにした。バイトで稼いだ貯金が8万円ほどあるので免許取得には十分であった。
近所に、元々は土建屋さんであったが、最近は規模の小さなトラック運送屋を営んでいる工務店があり、今までに何度か「配送助手」の日雇いバイトを務めたことがある。そこの大将は旧帝国陸軍の自動車運転手をしていたらしく、戦争後は小さな土建屋から工務店を興した御仁である。御家族は娘さんが3人おられたが、全て嫁いでしまい、男の子が無かった大将は、近所のよしみで万太郎を可愛がってくれ、時たま、配送助手のバイトに使ってくれたのである。従業員の若い人達が数人いたが、すべて万太郎より、年上のアニキばっかりのいい人たちであった。
あるバイトの時、この土建屋の大将が「万太郎ちゃん。車の免許取るならば、先に大型特殊免許を取ってから普通免許を取ると、早く取れて、かつ安上がりになるんだからな。必ずそうしなよ。」と教えてくれた。実際に教習所の教習料金表を見ると、「既得免許」が「大型特殊免許」だと、「普通自動車免許料金が、6割くらいの、格安で、かつ、教習期間も短くて取れるのである。天下の自動二輪免許を持っていても、学科教習が一つ免除されるだけで、大したメリットはなかったのである。
とはいうものの「大型特殊免許」といっても、ブルドーザーやらユンボやらの運転にはほとんど興味がなかったのであるが、何といっても教習料金の安さと教習期間の短さには惹かれるものがあり、ここは、栄えある、自身の「限定無し自動二輪免許」への「ハク付け」のために、大将の意見に従い大型特殊免許を取ることにした。
父ちゃんに訊いたら「これからは免許とかは持っている方が何かと良いからな。」と理解をしてくれ、母ちゃんに話したら「アンタ、あそこの工務店に就職するの?ならばいいけど。」と、これまた理解を示してくれた。
満18歳の誕生日の一か月前の日に、自動車学校に、「大型特殊免許の教習をお願いします。」と申し込んだら、受付嬢が目を白黒させながら「本当に大型特殊免許ですね?」と念を押してきた。入学金だの、教習料金だのを支払った翌日に学校で友人に「先に大型特殊免許から取ることにした。自動車学校に申し込んできた。」と話したら「なに?大型特殊免許?おめえ、車の免許を、まだ取らねえのかよ?」とからかわれた。しかし、この男の持つ自動二輪免許は、最近の「中型限定免許」であることを知っている万太郎は心の中で大きな優越感を感じながら、また、最終的には、俺の免許には「大型特殊免許」と「普通免許」、「限定無しの大型自動二輪免許」が、格安コストで並ぶことを知っているので、何も慌てることや、卑下することもないことを確信していて、ほくそ笑んでいたのである。
それから一か月後、万太郎の免許証には、原付免許に始まり4種類の免許の表示が並んだのである。高校卒業時に大型特殊免許と普通免許、自動二輪免許を取得した万太郎は、自分の免許証を誇らしげに同級生に見せびらかせて悦に入っていたのである。
高校を卒業した万太郎は、就職はやはり自動車関連産業に就きたいと思っていたので、この工務店にバイト社員として働くことにした。これで、ひとまずは安心である。この工務店の仕事量はそれほどでもなく、トラック配送助手でも朝は八時始業だが、夕方四時には作業終了となるノンビリとした仕事量であり、日曜の他には平日に1回不定期だが仕事が休みのときも時たまあったのである。
自分の生活サイクルがほぼ決まってくると、今度は本来の愛車である、ヤマハRD350へ金をかけることになる。これもずいぶんと長く乗ってきたのであり、この近辺では少々有名なRD350である。ワックスも欠かしたことがなく、流れるような模様のカラーリングも健在である。タンクキャップ周辺は、ガソリン補給時のしずくで、少々薄茶色にガソリン焼けしているが、現在のところは3万キロ走行であるが快調である。白煙のせいで、マフラーエンドのバッフルには、黒いオイルの燃えカスが溜まるのであるが、ふた月に一回、バッフルを取り出し、石油の一斗缶の焚火で焼いて掃除はしている。これは2サイクル車には非常に重要な儀式であり、事実、バッフルを焼いた後では、2速でも軽くフロントが浮く加速をするのである。メーター類のワイヤー類への注油も怠らない。以前は粘度の低い自転車用の機械油を射していたが、現在はミッションオイルを射しているが問題ない。メーター類の針ブレ、色あせもなく快調である。
※画像はネットから拝借しました。
リヤのドラム内部の清掃も怠らない。荒く乗るので、リヤのブレーキライニングの減りも早い気がするが、とにかく清掃しているので十分な効きを示している。フロントはヤマハの誇る「対抗ピストンキャリパー」であり、これまた十分な効きを示す。それよりも前後タイヤの減りが厳しくなってきたような気がする。次のタイヤは評判の高い「ダンロップTT100」を履いてみようかと思っているが、価格の高さがネックなのである。現在はF8の3.00-18とK87の3.50-18である。タイヤ前後で合計2000円位高価になる。
燃費は荒く乗るとリッターあたり10キロから13キロ、ゆっくり乗ると20キロ程度であるが気にしてはいない。元々加速重視のセッティングをしているのだし、コーナーリングと加速を味わえれば満足のいく二輪車であるので良しとしている。
最近はヘッドランプに沃素のヘッドランプを入れるのが流行りであるが、輸入元のSSリミテッド社からはまだまだ高価で販売されている。しかもヤマハRD350向けというのは無く、大型車の180ミリ径のみの販売である。もうしばらく市場を観察しておくものとする。
就職も決まったことだし、これからは、このRD350にお金を掛けようか、もしくは以前から欲しかったオフ車も探してみるかなと独り想像しながら眠るのであった。「エルシノアの125の綺麗な奴がいいなあ?」とか「オフ車の最高峰のハスラー400もやはり捨てがたいなあ。」とか想像しながら眠るのであった。
つづく。
