猫の顔、ラリー完走す!
朝、0400に目が覚めた。一瞬、やっちまったと青ざめたが、思い直してそのままかねてから決めてあった撮影地点に向かうことにした。距離計は19683km。
本来、予定していた撮影地点は、「茅ヶ崎漁港」であったが、遅刻していたことで焦ってしまい、コースをミスった。仕方なく第二の撮影ポイントとしていた「相模川河口」に向かったのである。しかし、これまた何度も道に迷い、ジョギング中のおばちゃんとかに訊いてやっとのことで相模川河口にたどり着き、相模湾をバックに写真を撮った。この時点で06:18という遅さである。ラリースタート時の距離、19749km。自宅から既に66kmも走っていた。
本来ならばラリー開始後は、厚木ICから東名高速に入る予定であったが、遅れていることに焦ってまたまたミスコースして秦野中井で東名に入った。同じラリーに参加している友人からは携帯電話にメールで現在地がぞくぞくと連絡されてくるのが、一層焦りを助長させる。
どうせ道の駅は09:00までは営業していないので、ここは東名高速を快調に走り距離を稼ぐことにする。意外なのは、この季節でも、二輪で走るとまだまだ寒い事である。持参の冬用のジャンパーに着替えての懸命の走りとなった。朝日が差してもまだ肌寒いのであった。
09:00新東名静岡SA到着。ここで辛味噌ラーメンと小ライスの朝飯とした。朝飯後しばらく呆けてしまい、気が抜けていた。ラリー中ということを思い出して気をとりなおして走りだすことにする。
10:28に給油、205km、8.9L 23.0Km/Lとまずますの好燃費である。ずいぶんとのんびりしていたものだ。ここからは気合いを入れて岐阜県をめざして新東名を走ったのである。
新東名の道路の状況は、路面が荒れていなくて走りやすいのであるが、いかんせん、横風が強すぎる。何度も倒れそうになりながら、こらえながら必死に走る。巡航速度は90km/h程度か。それ以上の高速になると、発動機の振動が激しいのであった。4気筒のくせにこの振動はいただけない。ホンダの設計ミスであったのだろうか?
ひとり旅の仲間はメットの中の歌である。久しぶりのCB650とのツーリングであるので、彼の生産年代である、79年から82年までと限定して当時のヒット曲を思い出して歌うことにする。
まずは「まちぶせ」、「TOKIO」、「さらばシベリア鉄道」、「時代」、「ひとり上手」などとかなりの懐メロを歌ったが、今となってはほとんど思い出せず、脳内年齢が急速に老いたことを実感して苦笑いしながら走った。
東名高速豊田JCTから、東海環状自動車道を経由して美濃関ICで降りてR156に入る。14:00道の駅「にわか茶屋」に到着。奈良県からの女性ライダーの集団に出会う。彼女らもこのラリーに参加していた。現地でのパーティー会場での再会を祈念して別れた。
さっそく初スタンプをゲットする。少しほっとした。店内には「高山ラーメン」の表示があり、誘惑に負けて高山ラーメンをすすることにする。ここの道の駅のわずか10km程北部に、さらに道の駅「美並」があることは事前の調査で分かっていた。R156を走り、ここで、2個目のスタンプをゲットしたら、一路千里浜へのキャノンボールである。
15:09 岐阜県R156の出光スタンドで給油、230km、1044L 22.1km/Lなかなかの好燃費であり、嬉しい。このクラスになると、長距離でも20km/L前後しか走らないかと予想していたので、やはり嬉しい物である。さあ、千里浜へ向けての最終の走りである。R156をしばらく走り、美並ICから東海北陸道に入る。
仲間からのメールによれば、千里浜への最終ICは今浜ICらしい。ここで高速を降りれば千里浜へはすぐである。道の駅のスタンプも2個ゲットしたし、ゴールと完走賞を目指して走る。ところが、今浜ICはどこの道なのかを良く知らない猫の顔は、ひたすら北陸道を南下したのである。いよいよおかしいと気が付いたのが金沢西ICである。あわてて降りて料金所のおいちゃんに訊いたら「道が違う。」とのことである。途端に血の気が引いた。夕日までに千里浜にゴールできるのか不安になってきた。ガスも入れないといけないし、ひたすら教えられたR8を北上する事にする。
17:44、石川県金沢市で給油、179km、7.75L 23.1km/L予想外の好燃費であったが、時間がない。ひたすら能登里山道路を北上したら、同じようなテント満載の参加者がいたので勇気ついた。
BMWの兄さんの後をついていって、やっと千里浜に到着。
砂浜ではSSTRスタッフやら、既にゴール済みの方々が手を振って歓迎してくれた。到着時刻は18:00.やっとゴールイン出来た。指図されるままに駐車場に停めると、かなりの数の二輪車の集まりである。サイドスタンドが砂にめり込まないようにと、頂いた木製のプレートを敷いて休憩。煙草が旨い。俺は完走したのだ。事務局に書類を提出しての参加賞と完走者賞を頂き、先に到着しているタロー君に電話した。
キャンプ場までタロー君のスーパーテネレ1200に誘導してもらい、ようやくキャンプ場に到着。仲間は全員完走到着していた。ここで、テント設営を済ませて、お楽しみ夜の「飲み放題食べ放題のディナーパーティー」に、貸し切りのマイクロバス(トヨタのコースター)で向かう。
ディナーパーティーは始まるとものすごい量の食事が出され、ものすごい勢いで消費されていくのであった。ここで飲んだ瓶ビールの味は、のどに沁みた。何人にも自分の愛車の名前を話したが、誰もCB650の事を知らなかったが、唯一、富山のTW200氏がご記憶であった。嬉しいような悲しいような。こういう時はみんなが知っている「Z2」とか、「CB1100」、「VMAX」とかで参加する方が有利なのであろう。
色々な方たちと「どこからですか?」との挨拶もそこそこに話が弾み、ビールが無責任にどんどん進むのであった。調布からのタンデム夫婦と話していたのを覚えている。短髪の嫁さんが酔っ払い、かなりはしゃいでいたので面白かった。日本海で取れたのであろう魚の刺身はとても美味かった。
屋外のステージでは何やら催事が始まるらしいので、出口に向かうと、どこかで見たことのあるおいちゃんがいらした。そう、あの、「鈴木忠男さん」である。思わず「鈴木さんですか?本物ですか?」と訊いたら「うん、本物」と気さくに答えてくれた。往年のモトクロス全日本チャンプは、意外にも小柄であった。
加曾利隆さんにも会った。この方も本当に気さくな方であった。とても世界一周をする様な馬力のある人には見えなかったが、内部にファイトを秘めるタイプなのであろう。40年前のオートバイ誌の「峠越え」をハスラー50で走った記事を読んだことがあると告げると、喜んでくれた。ちょっと見ると「みのもんたさん」に似ていた。
風間さんも見かけたが、意外にも痩せて大柄ではなかったなあ。
いよいよパーティーもお開きの時間になり、またまたコースター(タコメーター付き)に乗ってキャンプ場まで送ってもらった。キャンプ場でみんなと少し話をしたが、疲れがでたのであろう、みんなすぐに寝てしまった。猫の顔もウイスキーをコップに半分飲んで、酔いが回ってきた。テントに入り、銀マットの上でシュラフを使わずに数秒後には、HM300のセコ、サード全開並みの豪快ないびきをかいて寝てしまった。
25日(日曜日)
たしか、0700頃起きたような気がする。安物のウイスキーのおかげで少し頭が痛い。みんなテントをたたみ、出発準備を始めていた。とても朝飯を食う気にはなれず、もそもそと出発準備を始めるのであった。千里浜の会場へは当然CB650で走っていったのだが、駐車場には二輪車が満杯である。
ここで、朝だけ参加の大学時代の先輩であり恩師の先生が陣中見舞いに来て下さったのでお会いした。先輩も本当に二輪がお好きなのだと思うと、二輪車もなかなか良い趣味ではないかと思えてくるのであった。
会場ではなにか、抽選をしていたが、偶然、Tシャツが当たったので子供へのお土産とした。そんなこんなとしているうちに解散となったので、みんなで千里浜を走ることにする。千里浜の海岸線で集合写真を撮った。
さあ、帰路の後半戦開始である。猫の顔はここまで来たので実家の親父のお見舞いに、実家に立ち寄ることにしてみんなと別れ、一路北陸道を南下して実家に向かうことにする。ということは、帰路は北陸道を米原JCT経由、名神高速、東名高速と走ることになり、この2日間で相当な距離を走ることになりそうであるが、この時点ではまだまだ元気があった。
実家に着いたが親父は病院から出ていなくて、見舞いに行くにも二輪で東京から走って帰省したことで、余計な心配をかけて寿命を削ることにならないかと思い、お見舞いはお盆の時にすることにした。実家の兄貴に「CB650に乗ってみろよ」とけしかけたが、「怖い」とのことで跨りもしなかった。
16:35分、8号線武生の宇佐美鉱油で給油、199km、9.7L 20.6km/L。これから東京まで走るのかと思うと気が重いが仕方ないと合点して北陸自動車道を走る。
米原から名神に入ったら、事故渋滞の表示が2か所も出ていた。浜松までの所要時間が「-(不明)」と出ていた。ほとんど気を失いかけた。まったく頭が痛い話である。それでも、しずしずと動いているので、そのままゆっくりと走りことにする。伊吹のPAで休憩。見ていると4輪がしずしずと動いているから、何とかなるのであろう。こうしていても仕方ないので本線に戻ることにする。
しかし、渋滞で動きの悪い事、悪い事。まったくのそのそ運転である。それでも走行しているうちに、中央道分岐をパスしたのが19:30ごろ。暗くなり始めた。だんだん腹もたつし、とにかく浜松まではたどりつこうと決心したが、なかなか腰が痛いやら、足が痛いやらで、走る意欲を失いかけ始めた。ポジションが合わずに、膝から下が窮屈なのである。
いよいよ嫌気がさしてとうとう、豊橋で東名高速を降りた。今夜は豊橋泊まりと決めた。R1を浜松方面に走ったが、ドライブチェーンは「ガチャガチャ」と音をたて、それはもう賑やかな走行音で本来のジェントルな静けさとはほど遠いCB650であった。豊橋でビジネスホテルに泊まった。
荷物を部屋に入れると、とにかく煙草を吸って落ち着いた。外のコンビニで弁当とカップラーメンを買い、食べてヘルメットのシールドを洗ってから寝た。疲れた。月曜日に休暇を申請しておいて本当によかった。
26日(月曜日)
朝07:30分。ホテルの朝飯を楽しみにロビーに降りたら、混んでおり、順番待ちでやっと朝飯にありついた。無性にむかついたので、しこたまお代わりして大量に食ってやった。
CB650に荷物を積んだが、あいにくの曇り空である。やる気も失せるが、とにかく今日中に東京まで帰らないといけない。浜松ICから東名に入り、11:48分、牧の原SAで給油 318kmした。11.9L、26.8km/L以外に好燃費である。名神高速での、のそのそ走りでガスを食わなかったのであろう。給油したら、雨が降り出した。カッパを着てここまで来たらもう何としてでも東京まで走り続けなければならないと心に誓った。ひたすら忍の一文字で走ったが、いかんせん、昨日からの腰痛とひざの痛みである。忍の根性で走り続けた。チェーンのガチャガチャ音がうるさく感じる。もしかしたら切れるのではないか?との不安が脳裏をよぎるが、忍の一文字である。追い越し車線をリッターマシンが雨天も関係なくビュンビュンと追い抜いて行く。やはり旧い二輪車に乗ること自体が自然の法則に逆らっているのかもしれないとか、今度買うときはシャフトドライブ車にしようとか、スプロケット前後とシールチェーン交換でいくらかかるのであろうか?と金もないのにいろいろな思いが頭をかけめぐるのであった。中井PAで休憩と昼食。味噌ラーメンを食したが疲れて味すら解らなかった。
厚木からは最近開通した、圏央道を相模原まで走り、相模原からはニュータウン通りで無事帰宅した。このころには既に雨は止んでいたが、カッパを脱ぐ気力もなく、そのままで自宅まで走りついた。16:00到着。距離計は21014kmを指していた。
合計1331km、走行時間約60時間、一日当たり平均443km走行の熱き男のツーリングはここに無事終了したのである。
苦労を共にしたCB650とのツーリングに、ピース!

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