青春の思い出 ~鮎川の3台~
場所は、北陸の某港町の駐車場である。
時は、昭和59年の、服装からして晩秋であろう。
ホンダCB750Four(K2)と、ホンダCB450セニア、カワサキKL250である。
写っている友人たちも若いなあ。

CB750Fourには、多数の改造がなされていた。
まず、外観では、純正のダブルディスクブレーキ。ダブル化に伴い、マスターシリ
ンダーはCB750F(DOHC)のものに変更されている。
が、しかし、利きは、たいしたことはなかった。
純正キャリア。これだけでも十分に泣かせる装備である。
タンク上のコロナのツーリングバッグも見なくなって久しい。
なお、このCB750には、あの「ヨシムラのカムシャフト」が入っており、低中速から
高速にかけてはっきりとノーマルとは違った加速を見せた。
アイドリングでの排気音も、図太い音がしていた。マフラーは341であった。
このCB750は現在は、岐阜の機械科の後輩が所有しているはずである。
奥に見えるのは、CB450セニアである。
兄貴分の750と同様のカラーリングをまとい、結構売れたモデルであると記憶している。
ローセコで思いっきり引っ張ると、それなりのDOHCの加速を見せたモデルである。
建築学科の後輩と一緒に、昭和59年の夏休みの終わりに、一晩かけて琵琶湖一周のツー
リングに出かけた時に乗った。時計回りに回った。
明け方、琵琶湖の左側の志賀町かどこかの161号線の左急カーブで思いっきりサイド
スタンドを接地して、危うく転びそうになった思い出がある。
バンク角が左側は極端に浅かったようである。
メーター内部の照明が、昔のホンダの透過照明で綺麗だった。
750と共通のハンドルステムの4個のインジケーターのことではない。
丸いメーター内部の透過照明のことである。
サイドカバーが鉄製であったのが非常に高価な造りに見えたなあ。
朝、学校に帰ってきて、1限目の水力学の講義に出て、ひたすら爆睡していた。
CB450の上に載っているのが、友人の「パチキメット(漆の塗装済み)」である。
全くアホなことをやっていたもんだ。
でも、漆の仕上がりが非常に良くて、色が鮮やかであった気がする。
右奥に見えるのが、少数派のカワサキKL250である。
ガソリンタンクはKX80かなんかの、プラスチックのものであった。タンクキャップ
が、モトクロッサーそのもののねじ込むだけのものであった。
ブリーザーパイプが泣かせた。
フェンダーもKX125かなんかのバーフェンであった。これがカッコよくて仕方なかった。
この単車は、走りだすと、バランサー無しの高周波の振動がステップ回りに発生した。
1次減速がギヤだったので、発進時のクラッチONのときに「ウイー」と軽いギア
の音がした。
キックも固かったような、硬派な男の単車であった。
サスは柔らかいものであった。
ライムグリーンをまとっているのが懐かしいなあ。
当然、フロントはドラムである。
あのころは何を希望にして生きていたのであろうか?何を夢見て生きていたのであろうか?
今、思い出しても単車のことしか興味がなかったのだろうな。
最近は、「単車に乗れることの喜び」すら忘れかけてきた中年のボヤキである。
このころのはやり歌は、中森明菜の「北ウイング」、松田聖子の「時間の国のアリス」である。
小泉今日子が前年から売れてき始めた年であり、「渚のハイカラ人魚」とかも歌っていた。
色っぽい姉ちゃんが歌っていた「雨音はショパンの調べ」とかもあったな。
執筆 猫の顔

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時は、昭和59年の、服装からして晩秋であろう。
ホンダCB750Four(K2)と、ホンダCB450セニア、カワサキKL250である。
写っている友人たちも若いなあ。

CB750Fourには、多数の改造がなされていた。
まず、外観では、純正のダブルディスクブレーキ。ダブル化に伴い、マスターシリ
ンダーはCB750F(DOHC)のものに変更されている。
が、しかし、利きは、たいしたことはなかった。
純正キャリア。これだけでも十分に泣かせる装備である。
タンク上のコロナのツーリングバッグも見なくなって久しい。
なお、このCB750には、あの「ヨシムラのカムシャフト」が入っており、低中速から
高速にかけてはっきりとノーマルとは違った加速を見せた。
アイドリングでの排気音も、図太い音がしていた。マフラーは341であった。
このCB750は現在は、岐阜の機械科の後輩が所有しているはずである。
奥に見えるのは、CB450セニアである。
兄貴分の750と同様のカラーリングをまとい、結構売れたモデルであると記憶している。
ローセコで思いっきり引っ張ると、それなりのDOHCの加速を見せたモデルである。
建築学科の後輩と一緒に、昭和59年の夏休みの終わりに、一晩かけて琵琶湖一周のツー
リングに出かけた時に乗った。時計回りに回った。
明け方、琵琶湖の左側の志賀町かどこかの161号線の左急カーブで思いっきりサイド
スタンドを接地して、危うく転びそうになった思い出がある。
バンク角が左側は極端に浅かったようである。
メーター内部の照明が、昔のホンダの透過照明で綺麗だった。
750と共通のハンドルステムの4個のインジケーターのことではない。
丸いメーター内部の透過照明のことである。
サイドカバーが鉄製であったのが非常に高価な造りに見えたなあ。
朝、学校に帰ってきて、1限目の水力学の講義に出て、ひたすら爆睡していた。
CB450の上に載っているのが、友人の「パチキメット(漆の塗装済み)」である。
全くアホなことをやっていたもんだ。
でも、漆の仕上がりが非常に良くて、色が鮮やかであった気がする。
右奥に見えるのが、少数派のカワサキKL250である。
ガソリンタンクはKX80かなんかの、プラスチックのものであった。タンクキャップ
が、モトクロッサーそのもののねじ込むだけのものであった。
ブリーザーパイプが泣かせた。
フェンダーもKX125かなんかのバーフェンであった。これがカッコよくて仕方なかった。
この単車は、走りだすと、バランサー無しの高周波の振動がステップ回りに発生した。
1次減速がギヤだったので、発進時のクラッチONのときに「ウイー」と軽いギア
の音がした。
キックも固かったような、硬派な男の単車であった。
サスは柔らかいものであった。
ライムグリーンをまとっているのが懐かしいなあ。
当然、フロントはドラムである。
あのころは何を希望にして生きていたのであろうか?何を夢見て生きていたのであろうか?
今、思い出しても単車のことしか興味がなかったのだろうな。
最近は、「単車に乗れることの喜び」すら忘れかけてきた中年のボヤキである。
このころのはやり歌は、中森明菜の「北ウイング」、松田聖子の「時間の国のアリス」である。
小泉今日子が前年から売れてき始めた年であり、「渚のハイカラ人魚」とかも歌っていた。
色っぽい姉ちゃんが歌っていた「雨音はショパンの調べ」とかもあったな。
執筆 猫の顔

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