陸の空母
というより、70年代の思想を受け継いだ最後の重量車であると言い直した方が正確であろう。
重量車の基本的な指標を示し模範となったのはホンダのCB750であるが、世界中のオートバイがこれに倣って多気筒化、ハイパワー化してきたのが70年代の特徴である。頑丈な大きな車体に大排気量、大トルクのエンジン、卓越した高速走行性能をもつオートバイこそが、人々の羨望を集め、購買意欲をそそり、良いオートバイであるとの風潮であったのである。これは旧日本海軍の大艦巨砲主義(大きな戦艦で大きな破壊力を持つ大砲を搭載すれば無敵であるとの考え)と似ているふしがある。
水冷並列6気筒DOHCエンジンの外観、ラジエーターと今までに見たことがない巨大な27リットル入りのガソリンタンク、エンジン前方から、まっすぐにクランクケース下まで伸びる6本のエキパイ、幅広の大型のアップハンドル、豪華なメーター類、腹を立てたかのように上側に取り回される強制開閉キャブのワイヤー類などから来る圧倒的なボリュームから、YM誌1979年11月号の北村知久氏をして「空母のような」と言わしめたのであり、それは筆者も現車を見て納得したし、以降のどの文献を見てもこの「空母のような」の表現を超える言い回しにはお目にかかったことがないのである。使い古された感はあるが、70年代テイストを残したモンスターなのである。
当時のカワサキの技術をもってすれば、これだけのオートバイを作り上げるのには、かつてのZ1の製作からみたらさほどの困難は無かっただろうが、問題は、いかにこの巨大なエンジン類、車体類をきちんと収め、お客様に乗っていただけるちゃんとした商品に仕上げることの方がよほど困難であったに違いない。さもなければ、アメリカあたりの脳天気な一部のビルダーが納屋で作った品の無いゲテモノみたいなオートバイになってしまっていたであろう。
当時の開発ストーリーを読むと、目標は北米大陸で有利なハイスピードツアラーであった。排気量はハーレーの1200ccであったらしいが、最終的には1300ccに変更になったのである。6気筒エンジンについては空冷やら、販売側からはV6やら水平対向6の声もあったが最終的には直6となった。そうなると問題は当然エンジンの幅である。これを補うためにも、商品性を高めるためにも水冷化が採用され、シリンダーピッチが狭められたのである。さらにライポジへの影響も考慮してキャブは3個でインマニを二又にして対応しているが、それでも現車を見ると多少のためらいが出るかなりのエンジン幅である。
面白いのが動力の取り出しである。お得意のギヤ駆動ではなく、騒音問題からハイボチェーンによる取り出しとしている。そのために動力伝達系がすべて再設計となり、最終的に、シャフトドライブが車体右側に来ることになったということである。確かにシャフトが右側で、リヤディスクが左側にあったのは少し疑問であったのだが、これで理解ができた。
79年当時高校3年であった筆者は、このオートバイのエンジンが国産の乗用車の2000ccクラスの出力と同様な120PSであったことに驚愕した。そんなエンジンを積んだオートバイってどんなにスピードが出て早いのであろうか?加速はさぞかしものすごい加速なのであろうな?とか、そのエンジン音はどんな音がするの?とか、まさに免許なしの少年が夢見る世界最大のオートバイがこれであったのである。
蛇足ながら旧西ドイツ(古い表現になったなあ。)では二輪車の100PS規制というのがあり、このZ1300も、わざわざ99PSにディチューンして発売されたのである。しかもこの規制はたぶん10年間ぐらいか、かなりの間施行されており、Z1300もその被害者であったのである。よって、80年代での逆輸入車では、必ず「フランス仕様」とか「カナダ仕様」とかが店舗のプライスタグに記載されていたのである。
走行性能は最高速度215キロ、0-400mも11秒半ばであったように記憶している。その頃のオーバーナナハンでは、CBXが最速であったが、このZ1300や、XS1100、GS1000Sも似たような性能であった。だがこれらのオーバーナナハンの名誉のために付け加えれば、アクセルをひとたび開ければ、10年前に発売され世界中を驚かせたあのCB750の性能をいとも簡単に凌駕する性能をわずか10年で身につけたのである。このころ以降、日本、いや世界中のオートバイがどんどんとハイパーな性能を身につけていくのである。
忘れもしない、高校3年の晩秋の夕暮れに、自転車で駅から帰る筆者の右横を加速して来て、音もなく抜き去ったオートバイが、まさにこのZ1300であった。初めての出会いであった。水冷エンジンのせいで、抜き去るときに「ヒュン」と言っただけであった。その先の高速道路入り口の左コーナーを曲がるときに鮮やかに点灯したブレーキランプの色が今も瞼の中に残っている。わずか1、2秒の出会いであったが、あの日、あの時に「Z1300!」と叫び、少しでももっと見たくて自転車の速度を上げて追い着こうとした若き日の筆者の姿があったのである。
いつか東名高速のSAで、俺のZ1300を見て話しかけてきた同年代の諸兄に自身の煙草を勧めながら。ピース。
