青春の思い出 ~CB350Four~
もともと、4気筒のマルチシリンダーが好きな私は、いよいよ愛車を探す運びとなった。
当然CB400Fが最も欲しかったのだが、到底手が出る価格ではなかった。
先輩からは「90か125のオフ車で、めちゃくちゃ乗り回して走りまわるのが、最も腕が上達する方法である。」と諭されていた私は、ホンダのXLの125でもいいかなあとも考え始めていた。そんなときに、D商会のショールームの奥に銀色のホンダCB350Fourが見えた。
「おおっ!あれは!!!」 と、叫んだ私は、一目散に駆け寄った。
もともと、歳の割には古いのが好きで、小学校の6年で既にMC誌を愛読していた私には、それまでの全ての国産車のスペックが頭脳にインプットされていたのである。(これは事実であり、現在もその多くを記憶しているので、多少の旧車を見ても驚かないのである。)
「350かあ。」 やはり、車検の有無が気になったのである。
その近くに、XL125Sの76年モデルがあった。たしか、5万円だったと記憶している。H商会では、カワサキのZ200が6万円で販売していた。しかしながら、あの堂々としたスタイリングと4気筒に参った筆者は、友人に借金をしての購入となったのである。
エンジンをかけたときのあの堂々とした排気音(それでも750の半分くらいのボリュームがある。)がお気に入りであった。
(これはこれで、今所有していればなあ、と思う1台であるが。)
アイドリングでの排気音、加速時、巡航時の排気音がなぜかホンダの4気筒シリーズの中では最も活き活きとしていた。
本田技研工業株式会社に手紙を出して、フレームナンバーから年式を割り出してもらったりして、随分とかわいがっていた。80年6月号の別冊MCに、「歴史を刻んだ栄光のマシン」に出ていた500SSの輝きに憧れ、毎日コンパウンドで磨いていた。
最も嬉しかったのは2速で全開したときの、一直線に伸びる加速感である。これぞ、4気筒のダイゴ味であった。2速で全開にすると、確か90キロぐらいまで伸びた。排気音も連続した音で、決して巷で溢れていた“集合菅”のような下劣な品性の音ではなかった。心地よいサウンドであった。あちこちとツーリングにも出かけた。能登半島。四国一周、琵琶湖近辺である。
そんな、CB350Fourもいよいよ車検の日々が近づくにつれ、万年金欠病の私はしばらく車検を切っておくことにした。そして、そのまま、結局CB350Fourには二度と車検が通ることはなかったのである。
いまや、人の手に数万円の銭で渡ってしまったあの単車を思うと泣けてくる。
勿体無かったなあ。
当時の日記を思い出して書いて見ることにする。
2000ccを出足で蹴散らし、10000回転をも越えようとする、このエンジンが何よりも好きだ。シフトアップのたびに、スッと下りるタコの針の動きやら連続した排気音が,俺を一人の走りにかき立てる。闇に浮かび上がるスピードとタコの両メーターの針がグリーンで気持ちよい。これが4気筒なのだ。だから4気筒がいいのだ。
エンジンを切るとあたりには静寂が訪れ、しばらくするとキンキンという冷え始めの音がし始める。単車を置いてから、一人でブーツの音を立てて帰る時のこの静寂が好きだ。
○○子よりも好きだ!
(これは当時の筆者がふられた女の子である。屈折した青春時代であった。)
あしたも走ろう。
いやあ、俺も屈折していたなあ、やっぱし。
いつか、居酒屋で、ホッピー片手に。ピース。
当然CB400Fが最も欲しかったのだが、到底手が出る価格ではなかった。
先輩からは「90か125のオフ車で、めちゃくちゃ乗り回して走りまわるのが、最も腕が上達する方法である。」と諭されていた私は、ホンダのXLの125でもいいかなあとも考え始めていた。そんなときに、D商会のショールームの奥に銀色のホンダCB350Fourが見えた。
「おおっ!あれは!!!」 と、叫んだ私は、一目散に駆け寄った。
もともと、歳の割には古いのが好きで、小学校の6年で既にMC誌を愛読していた私には、それまでの全ての国産車のスペックが頭脳にインプットされていたのである。(これは事実であり、現在もその多くを記憶しているので、多少の旧車を見ても驚かないのである。)
「350かあ。」 やはり、車検の有無が気になったのである。
その近くに、XL125Sの76年モデルがあった。たしか、5万円だったと記憶している。H商会では、カワサキのZ200が6万円で販売していた。しかしながら、あの堂々としたスタイリングと4気筒に参った筆者は、友人に借金をしての購入となったのである。
エンジンをかけたときのあの堂々とした排気音(それでも750の半分くらいのボリュームがある。)がお気に入りであった。
(これはこれで、今所有していればなあ、と思う1台であるが。)
アイドリングでの排気音、加速時、巡航時の排気音がなぜかホンダの4気筒シリーズの中では最も活き活きとしていた。
本田技研工業株式会社に手紙を出して、フレームナンバーから年式を割り出してもらったりして、随分とかわいがっていた。80年6月号の別冊MCに、「歴史を刻んだ栄光のマシン」に出ていた500SSの輝きに憧れ、毎日コンパウンドで磨いていた。
最も嬉しかったのは2速で全開したときの、一直線に伸びる加速感である。これぞ、4気筒のダイゴ味であった。2速で全開にすると、確か90キロぐらいまで伸びた。排気音も連続した音で、決して巷で溢れていた“集合菅”のような下劣な品性の音ではなかった。心地よいサウンドであった。あちこちとツーリングにも出かけた。能登半島。四国一周、琵琶湖近辺である。
そんな、CB350Fourもいよいよ車検の日々が近づくにつれ、万年金欠病の私はしばらく車検を切っておくことにした。そして、そのまま、結局CB350Fourには二度と車検が通ることはなかったのである。
いまや、人の手に数万円の銭で渡ってしまったあの単車を思うと泣けてくる。
勿体無かったなあ。
マスツーリング帰還後の語らい。 '81年頃。
当時の日記を思い出して書いて見ることにする。
2000ccを出足で蹴散らし、10000回転をも越えようとする、このエンジンが何よりも好きだ。シフトアップのたびに、スッと下りるタコの針の動きやら連続した排気音が,俺を一人の走りにかき立てる。闇に浮かび上がるスピードとタコの両メーターの針がグリーンで気持ちよい。これが4気筒なのだ。だから4気筒がいいのだ。
エンジンを切るとあたりには静寂が訪れ、しばらくするとキンキンという冷え始めの音がし始める。単車を置いてから、一人でブーツの音を立てて帰る時のこの静寂が好きだ。
○○子よりも好きだ!
(これは当時の筆者がふられた女の子である。屈折した青春時代であった。)
あしたも走ろう。
いやあ、俺も屈折していたなあ、やっぱし。
いつか、居酒屋で、ホッピー片手に。ピース。
執筆 猫の顔

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