ホンダSOHC2気筒の残影
ホンダの空冷SOHCツインエンジンは、70年代前半には熟成の域に達していたと思う。
その次の世代のホークシリーズが出るまでの、「クラシカルなルックス」を持つツインエンジンは、空冷直立の姿が潔く見え個人的には好きなエンジンである。
特に他社が2サイクル攻勢を仕掛けてきている間、同形式のライバルエンジンがなかったことも幸いし圧倒的な販売台数を記録するのである。
もともと、250ツインエンジンは対米輸出にCB72で発表し、国内でも評価され販売台数は伸びていったのであろうが、個人的には1968年発表のCB250、350が好みである。
残念ながらエンジンの外観の迫力はCB72からは大幅にダウンし、相対的にCB72の方が、やたらにフィンの多いエンジンの迫力で、大柄な力強いエンジンに見えてしまう結果となってしまっている。
このエンジンは、CB、CL系に搭載されており、もろに回転馬力型、言い換えれば高回転型のエンジンである。スペックではCB250はSOHCツインで、最初期モデルでは30PSを発揮しており、その後は27PSにダウンしていくのであるが、80年発売のスズキのGSX250EのDOHC4バルブでも29PSであるのだから、その10年以上前の設計としてはなかなかのものではないか。
実車のタコメーターを覗くことができればそのレッドゾーンの開始が何回転からであるか括目してご覧いただきたい。また、タコメーターの数字の位置に、ニュートラルとウインカーのインジケーターランプが盛り込まれているのも懐かしい表示である。確か4000回転と8000回転だったと記憶している。
350においては、この頃よく用いられたベースモデルの250のボアアップ版である。軽二輪ではなく「自動二輪」の権威を備えた350クラスの旗艦が必要であったのである。その証座に250のボア×ストロークが56.0×50.6であるのに対し、350では64.0×50.6の325ccとなっている。この350は実はフルサイズではなかったのであるが、それでも36PSを発揮したのであるからリッターあたり110PSの立派なエンジンである。
昔、よく出入りしていたホンダSFのメカニックに訊いたところ、このエンジンの欠点は、ガスの大食いとオイル漏れだそうです。実際に修理に携わっておられた方々のお言葉であるので信ぴょう性は高いと思われます。
昭和45年の筆者の実兄の笑い話にこういう話がある。
当時350といえば自動二輪であり、高級車であったのであるが、兄貴の中学の同級生が、御尊父様から買い与えられた新車のCB350で、優越感にビチャビチャに浸りながら高校に通学で乗り付けた。1時間目の終了の休み時間にいきなり教室の扉が開いて2年、3年のおっかない先輩方が「誰や!サンハン乗って学校来たのは!」と現れ、それはそれはキツイお叱りをうけ、ボコボコにシメられたそうです。先輩方も、喉から手が出る位欲しかったサンハンで1年生が、それも新車で通学されたら、先輩方も、ここは一発シメておかなければならないところであったのでしょう。憧れと羨望とやっかみがまじった実話である。
これで、CB750FOURで通学していたらどうなっていたのであろうか?笑える実話であり、言い換えればCB750FOURがいかに超高級車であったのかが浮き彫りになる話である。
話は飛ぶが、当時の軽4輪のN360はこのCB350のボアアップ版と誤解されている方も多いのであるが、実は先発のCB450からのボアダウンエンジンである。
ボア×ストロークは、CB450の70.0×57.8に対して、N360の62.5×57.8である。
むしろCB350からの流用と思われるのは、次の後継機種のライフである。ライフのボア×ストロークは67.0×50.6でCB250-350のストロークが共通である。
圧縮比等のスペックが異なるから一概には言えないだろうがホンダの、いい意味でのコストダウンが見て取れる。
70年代の前半の中型車両エンジンは主にホンダが4サイクルツイン、他社が2サイクルツインとトリプルである。
ここでジェントルな4サイクルを選ぶならホンダとなるわけであるが、走りのスペックでは、圧倒的にカワサキの350SSか、ヤマハのRD350が二大双璧であったと思われる。それでもホンダのネームバリューと共に好調に売れていくのである。
まだ、オイルショック前の、環境問題が表面化していない古き良き時代であったのであり、スズキにおいては、GT250とGT350、GT380というラインナップであるのでライバルは多数存在したのである。
ホンダはこのCB250-350のツインエンジンを実に大切にしており、販売機種もCB、CL、SLと各分野での要求に応えるように量産するのである。しかしオフ車としてのSL350は本当にオフでのライディングが楽しめるのであろうかという位の重量級である。ついでにホンダはCL450というオフ車(と呼べる代物ではないと思うが)までも発売するのであるが、ユーチューブ等では、米国のマニアがその雄姿を投稿する位であるから海外の大柄なライダーにはそこそこ売れたのかもしれない。
このエンジンと次世代のホークシリーズとの間に産まれたのが、73年発売のCB250T、360T(250の型式名はG5)である。その2年後には廉価版のCJ250T、CJ360T(筆者の中型免許の教習車両です。)である。
この機種は、エンジンが新設計であったらしいが、外観は前モデルとそっくりのエンジン配列である。クランクケース前のセルモーターの位置まで同じである。このモデルからメインキーがホンダ車の伝統ともいえる例の場所(1番シリンダーの直前、片面キーの歯を前にして差し込みます。キーホルダーがエキパイで溶けます。)から、メーター間に移動するのである。しかもホンダロードスポーツ初の6速ミッションの高級車である。その頃の6速ミッション車はヤマハのRDシリーズのみである。
このエンジンは力作であったのであろうが、販売台数は伸びていないのである。不評だったのかもしれない。また、先のCB250と同様に実は大食いであったのである。オーナーに訊いたところでは「20km/Lがやっと。」という具合である。加えてスタイル重視の12リットルタンクでる。はたまた当時は休日はGSが休みであったのである。よって休日のロングツーリングでは、さぞかしガス欠の恐怖に慄きながらの走りであったと思われる。
筆者のチョイ乗りの乗車感覚では、非常に乗車重心が高く、やたら旋回性が強かった記憶がある。
この機種は、ホークシリーズが主役に移りカタログ落ちしてしまったのが残念であるが、旧態依然としたままのSOHCツインでは商品性が出ないとホンダも悟ったのであろう。自身が販売網を開拓し、好調に販売台数も延び、熟成した空冷SOHCツインの道も自身が幕を降ろし、新エンジンの開発を強いられた結果となったのは商品性の問題とはいえ、その変遷は残念である。
現在では中型排気量では水冷DOHC4気筒エンジンが主流であるが、私は空冷SOHCツインエンジンも良妻賢母型で、かつシンプルでなかなか味わいのあるエンジンと思えて仕方がないのである。
80年代、舗装された広大な非公道エリアでCB350セニアに跨る筆者
いつか、廉価版のフロントドラムブレーキ、上下ツートーンタンクのCB250エキスポートに乗る貴兄と、信州の道の駅で語らう日々を夢見て。ピース。

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